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◎6期ゲゲゲの鬼太郎 第5話『電気妖怪の災厄』感想

2018/05/02 23:54
○冒頭からホラー、ねずみ男とかみなりの商売

 冒頭、綺麗な女性が怯えていて、宅配便業者が来ると、ビカビカっと電光が走り、焼け焦げた女性が助けを求めると言う、ホラーな場面から今回は始まった

 続いてねずみ男が、ヤクザ金融に借金をしていて、他者は処分され、ねずみ男も殺されそうになると言う、これまた子供向けのニチアサアニメとしては、なかなか怖い状況となり、そこから『かみさま〜』と言う悲鳴と共にかみなりとの出会いになる。

 そこで、怯えるヤクザを尻目に、かみなりを『ビビビ電力』の商売に利用し、格安電力で誘致された企業のお陰で街は繁盛、ヤクザは金の力で市長になり、双方を上手くつなげて自分も大もうけ…と言う、ねずみ男お得意の妖怪コンサルティングが始まった。

 ここまでの流れで、ねずみ男は『人間の方がよっぽど怖い』みたいな事を言っているが、確かに金の力や恐怖の力で、殺されそうにもなれば政治家にもなれてしまうと言う、冒頭から人間社会の理不尽さ満開な話だなあとも思った。

 他の子供番組なら、明らかな悪役が悪の組織の中で出世する事はあっても、政治家や商売という表の世界で出世する事は考えにくい、それも、心を入れ替えたのでは無く力でそれをやってのけてしまうのはナカナカ無いだろう。
 表面的には理性的である様で、実は『力』に支配されてしまう人間の弱さと怖さへの皮肉が早速出ているなあとも思えたし、そう言う人間の弱さをねずみ男を通して描くのもまた鬼太郎だなとも思う


○増長していくかみなりと市長、そしてついに五十嵐記者が

 さて、町の発展にも寄与。ねずみ男の商売は順調と、良い事づくめだったねずみ男だが、かみなりは女子アナとお近づきになりたいと言いだし、ヤクザ市長は汚職を雑誌記者の五十嵐女史に嗅ぎ回られるのに文句を言い出してと、両者が増長し始めて歯車が狂い出す。

 かみなりが女子アナに会いたがる所位まではまだコミカルで笑えたが、ヤクザ市長が勝手にかみなりに依頼し、五十嵐記者が恐怖に怯え、翌日の朝刊には謎の感電死と言う記事が出てくる辺りは、打って変わってのホラーな描写になる

 五十嵐記者が綺麗な女性だっただけに、いきなり殺された事や、後での救いも無かった事、話は前後するが後にヤクザ市長は逮捕される場面までで終わり、おそらくは証拠不十分ですぐには殺人罪には問えないだろう事に、『可哀想すぎ』『ここだけホラー展開なのに違和感がある』『後味悪い』…と言う声がネットでは上がっていた。

 この辺恐らく、『アンパンマン』や『DB』の様な夢の世界、異世界が舞台の作品なら、五十嵐記者が救われ、ヤクザ市長が死ぬほどつらい成敗を受ける、解り易い勧善懲悪が描かれていたのだろうと思う。
 が、悔しいけど正義が必ず報われるとも限らないし、悪が必ず胸がスカッとする成敗を受けるとも限らない、そんな理不尽も人間社会である。ゲゲゲの鬼太郎は妖怪作品ではあるのだが、夢の世界を描いているのでは無く、妖怪を通して『人間の弱さ』と、『だからこそ強く正義を守れる鬼太郎はカッコいいんだ』という現代の人間社会と心理の両面を描いた作品なのだ。

 この辺は、戦争で片腕を失うほどの生死を分ける理不尽な体験をされた事、帰国後も食べていけるまで多大な苦労をした事、だがその中でも人間の人情や良縁にも沢山触れた水木先生の人生観が反映されていると言えよう。
 そしてそれは豊かになった現代社会でも、決して無縁な事では無い。水木作品が世代を超えて愛されているのもそんな所にあるのだとも思うし、製作スタッフもそれが良く解ってて作っていると思う


○暴れ出すかみなりと決戦

 さて話を戻すと、『妖怪にやらせた事などバレないだろう』とうそぶく市長に対して『全然解ってねえ。いるんだよ、こう言う事件に必ず食いついてくる奴が』とねずみ男。そしてかみなりには自重を求めるも、『ワシを誰だと思っているか』とかみなりも怒りだして暴れだし、ついには鬼太郎との戦闘に入る。

 『あんなデタラメな奴を制御しようと思ったのがどだい無理な話だったんだ』『だから俺は安全かもハッキリ解らないのには反対だったんだ』『ありがたがってたクセに』と今頃慌てるねずみ男と町の人達だが、得していた時には持ち上げておいて、大事が起きると手の平を返すと言うのも、これまた人間の弱さと身勝手さを良く表していた。
 この辺『原子力発電と震災前後に付いての人間の身勝手さも皮肉っている』と言う声もあったが、実際その通りだろう。私自身、あの時計画停電を経験してみるまでは原発事故の放射線の怖さ、それに生活を頼る怖さは実感できなかった。どこか他人事に捕らえていたと思う。痛い目に遭ってみないとナカナカ解らない人間の愚かさは、いつの時代になっても共通だ。見ていた子供達にも良い教訓になった話と思う


 かみなりの雷撃と、重力のある星(岩)で苦戦する鬼太郎。ここで子泣き爺が石化能力を生かしてかみなりを苦しめてくれるのは原作通り。駆けつけた人間のポリス達もなぎ倒し、『優しくすればつけあがりおって、決めたぞ、これからは恐怖で尊敬を集める。まずは見せしめこの町を滅ぼしてやる』とうそぶくかみなり。

 この辺、先の市長にせよかみなりにせよ、ねずみ男のコンサルティングで上手く導かれたのであり、彼ら一人だけでこの成功は無かったはずなのだが、頂点の立場にたつと『全て自分の力のお陰』と増長し、謙虚さを失うもの、特に、権力や暴力までも手中に収めていると尚更だだという、これまた人間の弱さや愚かさを良く見せていると思う。
 彼らにとってねずみ男は、借金や戦闘能力などで自分より弱い、下の存在と見えていた事も理由だろうが、そう言う理由で他者の忠告を煙たがり、聞く耳持たない事を正当化しようとするのも、これまた権力を手にしたモノの愚かさで、『痛い目に遭わないと解らない』のは、町の人達ばかりで無く彼らも似たり寄ったりとも言える。彼らは力があるだけに、より始末が悪いのだが。

 また、恐怖で人を『服従』させてるだけなのを、『尊敬』と錯覚し、服従しない者は邪魔者、悪者扱いしたがるのもこの手の輩に良くある話。尊敬というのは役に立ち、喜ばれて、悪事に手を染めない誠実さがあってのモノなのだが、権力を手に人の苦言や忠告に耳を貸さなくなった者はそれに気付かない、裸の王様状態で迷惑をかけるというのも、これまた増長した者の始末の悪さを見せていると思う。

 その後の戦闘は、雷撃が龍と化して襲いかかる、コイルを使っての電磁石でバチを奪う。太鼓で鬼太郎を縛る。かみなりの雷撃と体内電気との電気勝負。それまでのコミカルさとは打って変わり、迫力と格好良さは素晴らしかった


○小ネタ色々

 その後、人形を残して逃げてしまうねずみ男だが、犬に引っかけられ車にひかれと、最後にコミカルに痛い目に遭うのもお約束。
 その他にも、今回もファンならニヤリの小ネタは色々だった。

・雨山
→今回はヤクザ市長の名前だったが、原作では人工雨の研究所の博士の名前。雨山博士は悪意は無く、人工雨を役立てようとしただけなのだが、ドライアイスの散布がかみなりの逆鱗に触れた。
 原作と違い、今回は悪意のある利用者なワケだが、『昔は皆、かみなり様にへそを取られると言って恐れたものなのにな』と言うかみなりに取っては生意気な人間共と言う事には変わらないか。

・かみなりの格好
→アフロヘアのカツラは、言うまでも無いが、ドリフターズの『カミナリ様』が元ネタ。いかりや長介氏が亡くなられ、ドリフターズが揃っての活動はもうほとんど無いだけに、懐かしく思った人は多いだろうw

・サザエさんと東芝
→町の人代表の女性がサザエさん似の髪型だった事は話題となった。先日、協賛を降りたお陰で出来たのかは定かでは無いが、同じ局とは言え、サザエさんと言えば東芝で、その東芝は原発にも深く関わっている企業と言う辺りもブラックジョークが効いている。

・子泣き爺
→石化できる為雷撃に撃たれても平気な子泣き爺は、かみなり戦では有効と言うのは原作通り。他にも将棋をうっていたり、傘化けで飛んでくるなども原作ネタ。


○出番無しの猫娘とまな

 今回は、まなも猫娘も出番無しだった。5期では猫娘は全話皆勤だったので、20年ぶりにメインヒロイン不在の話だったと言える

 そこを寂しいと捉える人も多かろうが、今回は2人は出さなくて正解だったと思う。今回、五十嵐記者は感電死し、ポリス達もなぎ倒されている。いくら勝気なまなでも、目の前でかみなりの雷撃で人が即死すれば、泣いて腰を抜かし、もう鬼太郎に会うのを危険と控えてしまうだろう。
 また、まなは偶然力で、猫娘は妖怪だから雷撃を何とか避けられた…ではかみなりの雷撃の恐ろしさが半減してしまう。あの場面にまなや猫娘を出さない事で、人間では即死レベルの攻撃で、鬼太郎と子泣き以外は為す術無しだからこそ、あの迫力と怖さを演出できたと思う。

 なので、まなや猫娘は出したとしても、危険だから置いていく見守りヒロインをしてもらうしか無かったと思うし、それはこの2人のキャラでは無いだろう。ヒロインを必ず出せと言う縛りが無いなら、ムダに尺を採るより出さない事を決断したのだと思う。


 また原作通りに子泣き爺を、石化能力を生かして活躍させたかったと言う事もあるだろう。猫娘の爪や、まなの偶然力で何とかなるなら、子泣きの出番がいらなくなってしまう。
 5期では猫娘とゲストヒロイン優先の縛りがあったのか、かみなりは雷獣に置き換えられ、子泣きは将棋だけで戦いには不参加だった。戦うのは鬼太郎一人で、戦っている間に猫娘とゲストヒロインらでいかづち岩を元に戻して解決…と言う流れだった。

 個人的にはこの回の脚本は、ねずみ男はほとんど無関係で終わった上、岩を動かすなら塗り壁とかも連れて来れば良いのにと思えたし、岩を元に戻したらアッサリ大人しくなった雷獣も少々安直な感じがした。
 オリジナルにした事で、見せ場のハズの戦闘シーンや解決がイマイチ収まりが悪くなってしまった事が、長谷川氏の下手さが出たなと思えてしまった回だった。
あれが失敗かはともかく、今回は子泣きを原作通りに使う話を作りたかったのだろう。


 後、今回の話は『金や権力・暴力に踊らされる人間の弱さ』『正義が必ず勝つとも限らない人間世界の理不尽・不条理』『良い時には持ち上げ、痛い目に遭うと手の平を返す人間の身勝手さ』『増長すると謙虚さを失う、上に立つ者の愚かさ』…など、人間社会の黒い部分を色々詰め込んだ、ブラックジョーク一杯の話だった。

 こう言う話には、中一のまなの明るさ、元気さなどは正直言って作品のブラックさを薄めてしまうだろうし。また彼女がこう言う事で怖い目に遭っては、視聴者の受ける後味悪さが余計酷くなるだろう。かと言って、前出の様に見守りヒロインをさせるのも似合わない。猫娘もその辺は同様だ。
 彼女たちを出さない決断をしたからこそこの話が出来たし、この話を作る為に出さなかったのだと思える。それが出来る事もまた、5期との差別化なのだろう。

 また、今回はねずみ男がかみなりと有ってから、会社設立、町が発展、雨山が市長になると言う事で、作中で数ヶ月〜数年は経過している事になる。
 もしかしたらまなと出会う以前の時系列なのかも知れないし、本編のまな達との出会いや交流の進行とは無関係の、一話完結のパラレルな話と言う事にしたかったのかも知れない。そう言う意味でもまなを出さなかったのだろう。


 彼女たちの活躍は次回以降に期待したい。が、次回は『すねこすり』で、久々に妖怪ポストでの出動なので、これまた出番は無いまたは少なそうだな。まあ、期待しないで待っていたいw
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◎6期ゲゲゲの鬼太郎 第4話『不思議の森の禁忌』感想

2018/04/24 21:59
○まな、裕太に鬼太郎の事を話す

今回は、ここまでの3回とは打って変わって小休止的な、けど重要な話となった。妖怪の世界に迷い込んだ子供の、白昼夢の様な不思議な体験…と言う所だろうか。

 冒頭、まなは裕太に鬼太郎の事を聞かれてつい話してしまう。この辺、口が軽すぎと言う意見もあろうが、元々妖怪には半信半疑だったまなが鬼太郎に会えたのは裕太が妖怪ポストの事を教えたからだし、その時に送り主を『犬山まな』ではなく裕太にしていれば裕太が会っていた可能性もあった。
 また、鬼太郎に止められるまでも無く、鬼太郎に会った事を周囲に話してもそれこそ夢扱いされて笑われるのがオチだろう。そう言う意味では、裕太は鬼太郎について安心して話せる相手でもあり、あれからどうなったと根掘り葉掘り聞かれれば、黙りきれないのも人情だ。作劇の都合上と言う事もあろうが、十分理解できると思う


○ジブリ映画を彷彿とさせるゲゲゲの森

 そこから先は、裕太がゲゲゲの森に迷い込む→皆と仲良くなる→つい出来心でした事が騒ぎになり謝罪→元の世界に夢心地で戻る …と言う、異世界冒険譚の典型で、ストーリー的な目新しさは無いのだが、民俗学や水木作品のトリビアや、過去作と比較してうならされる事が多々あったのが素晴らしかった

 まず驚いたのはゲゲゲの森、過去作ではもっとこぢんまりとしていて、いかにも『隠れ里』と言う感じだった。5期の妖怪横丁も『妖怪横丁は、地上と地獄を繋ぐ次元の狭間に妖怪達が家を建て、町の様に発展していったモノ』と説明していたし、どちらにしてもそれ程広いものでは無かった。

 それが今回は見渡す限りの原生林で、まるでよその島や大陸や星に来た様な光景だった。少なくとも数10〜100Kmはありそうで、ドラクエ3の様に別の世界地図が作れる別世界の様である。まあ、余り大きくなりすぎると、スマホの電波が届いているのが変になってしまうから、そこまでではなく我々のすぐ近くの別世界だろうがw

 森の中も、動物や精霊、妖怪達がのどかに暮らしている幻想的な風景に描かれており、この辺りネット上では、入り方は『となりのトトロ』、森の様子は『もののけ姫』の様だと評判だが、なるほどそんな雰囲気だ、BGMまで久石譲っぽい和風コーラスになっていて、意識的にそうしているのだろう。
 この辺、本当にジブリ映画さながらのクオリティで、今回は背景美術班が、相当に頑張ったなあと言う印象だ。拍手を送りたい

 これを見ると、この森に人間が入ってはいけないし、入って欲しくないのも解る気がした、むやみに観光地の様に多くの人が入っては折角の森が傷つき、のどかな暮らしが脅かされてしまうのだろう。マナーの良い人間ばかりでは無いし、裕太の様に意図せず間違いをしてしまう人もいるだろうから。
 そう言えばまなの名字は『犬山』だが、もののけ姫のサンはヤマイヌに育てられたんだなw 将来まなは特別に入れてもらえるのかどうかも興味深く感じた。


○鬼太郎ファミリー達の反応

 そんなゲゲゲの森だが、裕太がまなの隣の家の子で、おばあちゃんに妖怪の事を詳しく教わり、まなに妖怪ポストの事を教えたと聞くと、目玉親父も、袖すり合うも何かの縁じゃと、鬼太郎と猫娘とで森を案内する事になった。

 目玉親父は2話で『お互い、相手を尊重して理解しようとする事じゃよ』と語っているだけに、理解できる素養のある子と心を動かされたのだろう。結局はそれがトラブルの種になってしまうワケだが、それを含めての理解の為の努力だ−と、それこそ親父も砂かけも年の功で理解しているのだろうと思う。その辺、まだ子供っぽくやや排他的な鬼太郎と、良い対比になっていると思った。

 猫娘は最初は反対していたが、『猫娘さんてめっちゃ強いのに、素敵で綺麗ですっごくカッコいいって。まな姉ちゃんが言ってました』…とおだてられるとあっさり陥落したね。ねずみ男がその後『裏切り者』と言ったら『お前が言うか』とばかりに爪出して睨まれた掛け合いは、笑えるギャグだった
 今回はまなの出番が少なかっただけに彼女が可愛かった。登場時は足先からカメラがナメる様に全身をスクロールで映されてたり、鬼太郎と一反木綿で相乗りする時に妙に照れていたり、おみ足が綺麗だったりと、作画監督も解ってらっしゃると言う感じだったねw

 しかし人間界の町中ならともかく、原生林の中でデルモ体型、赤いミニスカ、ハイヒール履きのスタイリッシュな彼女がいると、どうも浮いてしまうのはご愛敬か。この原生林の中に、彼女はどないして住んでるの…?どう見てもどこかにマンションの様なちゃんとした家が無いと、あんなに小綺麗な身なりに出来なそう…と思うが、そこはいつも通り、彼女の私生活は秘密なのかな。今後、ハッキリ見る機会があるなら素晴らしいのだがw

 ねずみ男は…ハッキリ言って今回はちょい役のギャグメーカーだったが、2話で悪巧みをしてお仕置きされて、金塊が石になってトラブルも起こしていたのに、しれっとゲゲゲハウス周辺に居たあたり、今作もまた『困った友人』と言う位置づけかな。
 『あら珍しく意見が合うじゃない』と猫娘に同調されてたが、確かに珍しい。猫娘との掛け合いは珍しくも無いが…。まあ、彼の活躍はやはりお金がらみで、それが無い話では目立たないのもやむ無しか。次回に期待しようw

○色々とトリビア

 ここからは色々と、トリビアを知っている人はオッとなる事だらけな事を列挙していこう。

・砂かけ『確か前来たのは寅吉とか言ったな』
→元ネタは、天狗にさらわれて修行したと言われる天狗小僧、仙道寅吉だろう。森の中に天狗がいるのかは解らず、あくまで元ネタに過ぎないのかも知れないが。

・妖怪温泉
→子供向けの妖怪入門や、少年マガジンの特集記事の『妖怪大画報』などに妖怪達の生活が描かれた絵画の中の妖怪温泉が元ネタ。山の上から滝の様に温泉が湧き出て、いくつかの窪地が湯船になってて天然のお風呂場なのはそのまんま。一度あんな露天風呂に入ってみたいモンだw

・油すまし
→『いまもいるぞ〜』のセリフや、倒木が斜めになっている所の左上に油すまし、右下に人(アニメではねずみ男)が居る構図は『妖怪大全』などの妖怪画でお馴染み。将棋仲間というのも漫画の通り。
 余談になるが、かつて一反木綿、塗り壁、子泣きを演じた龍田直樹氏が声を当てていたのも嬉しい所。重々しい感じの爺さん声も機用に演じられるのはさすが。

・べとべとさん
→誰も居ないのにペタペタと足音がする事、脇によって『べとべとさんお先にどうぞ』と言えば追い越して立ち去るのも伝承通り。裕太がそれを知っていたのを猫娘も鬼太郎も感心しており、彼らも裕太を良き理解者として好印象になってきたのが、後で必死に裕太を助けようとする伏線になるのだろう。
 ウエンツの実写映画やゲゲゲの女房には登場しているが、アニメの鬼太郎には初登場である。元々は姿が見えない妖怪だが、水木先生の妖怪画ではあの可愛い姿で描かれているだけに人気は高い。だがそれ故、悪役や助っ人役に使うのは難しかったのかも。

・水妖怪
→これまた古く、実写特撮版『悪魔くん』に登場する、ゾンビの様な水妖怪が元ネタ。私も他の人の書き込みを見るまで解らなかった。
 またこれまではゲゲゲの森と言えば、鬼太郎の味方の、つまりは正義の味方の善良な妖怪達が隠れ住む森という印象だったが、人間を食べてしまう妖怪は初登場だろう。これも、今回のゲゲゲの森は今までのとも違い、ある程度規模の大きい別世界、別の国と言うのを印象づけたと思う。

・山じじい
→4期では3匹の刺客の間抜け役、5期では運動会のモブと、良い扱いをされてなかった山じじいだが、ここでは怒ると巨大化し、山のあちこちから巨大な腕を伸ばしてつかみかかるなど、まさしく『山の主』の様に描かれていた。

 木の実をもぐと、そこから血が流れる様な描写があったが、精霊や妖精が、宿るものが本体で、それを傷つけられると激しくたたると言うのはよくある伝承だ。山じじいは伝承では山の鬼で、猿でも狼でも平気で喰ってしまうとの事で、どこかに宿る精霊とは書かれてないが、今回の作劇では、山じじいにそれを担当してもらったと言う事かな。そう言えば実の形も、山じじいの頭にどことなく似ているのも象徴的に思う


○裕太、叱られて学ぶ、そして帰還へ

 さて裕太は初めて見る木の実に魅せられてつい取ってしまい、山じじいを怒らせ、実を返して謝るワケだが、ここで『たかが木の実一つで』と思ってしまった人も多かろう。これは、温室や冷蔵庫があり、車や飛行機で輸送され、季節を問わずにスーパーやコンビニで子供の小遣い程度で果物を買える様になった現代人の感覚である。
 そう言う物の無い時代は、果物は実のなる夏秋にしか、それもお金持ちや庭木に実のなる木を植えている家でしか食べられない貴重品であり財産だった。現在の様に警察に訴えて裁判をし、罰金を払うなどもしない時代、勝手に盗んだり等すれば、大ケガや死亡する位の折檻を受ける事も珍しくは無かったのだ。

 原生林の中で暮らしている妖怪に、現代人の様に果物を気軽に扱える感覚などどうして理解できるだろう。世の中が豊かになった代償に、ありがたみを忘れがち、気が回らなくなりがちな現代人への忌めとも言える。裕太は悪者では無いし、悪気は無かったが、した事は悪かったワケだ。

 実を返して頭を下げて謝ると怒りを静め、『まだ世のことわりさえ分からぬ子供故に許そう、二度としてはならんぞ。』と、戒めの印を付けて立ち去るあたりも、これも現在なら、暴力に訴えない代わりに親や警察に処罰を委ねるのだろうが。古い時代の子供に対する大人らしい態度とも思う。現代人の感覚からすれば荒っぽいが、これが山の主のやり方、と言う事だろう。古い男社会のやり方とも言えるが、伝承に登場する妖怪はそう言うモノと言う事だろう


 怖い目に遭い、鬼太郎にも『これで解ったろう』と言われるが、『でも妖怪の事をもっと知りたい』と好奇心旺盛の裕太に皆苦笑していたが、目玉親父に『おばあさんに聞いてみなさい』鬼太郎に『ここに来た事は言うなよ』と言われ…はっと気が付いてみたら現世に戻っていた。

 夢だったのか…?イヤ夢じゃ無い。戒めの印は裕太にも時々しか見えないだろうが、怖い目に遭った事を忘れないだろう。そうして自分を律する事を覚えて、裕太は一つ大人になった。…と言う構成も、これも『となりのトトロ』を彷彿とさせるベタな展開だがそれが良い。心地よい後味の話になっていた。今回は視聴者は、裕太と共に不思議な出会いと体験をしました…と言う締めは、バトル一辺倒では無い鬼太郎と言う作品の多様さや懐の深さを見せてくれて、実にいい話だったと思う


○今後の展開が気になる

 話自体は凄く良かったが、今まで解らなかった設定も見れて、今後の展開的にも興味深かった。

 今回のゲゲゲの森は従来作とは違っており、人間に入って欲しくない様な森だった。そうなると、まながここに入れてもらえるとしても当面先だろう。あるいはやはり猫娘がアプリのアクセス拒否をして、別れの時となるのかも知れない。または最終決戦の時、まなの協力が是非とも必要になる時に入れるとかかも知れない。

 また、今回の裕太の出来事を、鬼太郎や猫娘はまなには話すのだろうか?まなを責めるのだろうか?裕太はポストの事を教えてくれたと言う他者との違いがある事は承知の上で、これ以上他の人には…と注意位はするかも知れない。
 あるいは、余計な噂を広げない為にも黙っておくのかも知れない。まなからすれば、裕太が鬼太郎に会ったと解れば、裕太と祖母は安心して鬼太郎の事を語れて、協力してもらえる相手ともなるが、それは噂が広がる原因ともなりかねない。鬼太郎達とまなとの今後の付き合い方や仲にも微妙な影響がありそうな話でもあった。

 ま、次回はそういう事とは打って変わって、ねずみ男主役の儲け話の話、ある意味一番鬼太郎らしい話とも言える、楽しみにしたい
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◎6期ゲゲゲの鬼太郎 第3話『たんたん坊の妖怪城』感想

2018/04/16 01:28
○猫娘とまな 仲良くなる。

 まず訂正したい。前回の第2話では私は『まなと鬼太郎達の出会い、後編』と書いた。が、それは間違いで、2話は『中編』この3話が『後編』の、『出会い3部作』の様な形だった様だ。この手の前例が無い故に解らなかったので訂正したいと思う。

 さて2話の最後に、『猫姉さん』とまなに懐かれてから、もう3話では、まなと猫娘はLine(作中ではそうと明言していないが)でメッセージ交換する仲になっていて、猫娘に怪事件を報告してくれていた。

 この辺、猫娘は照れ隠しで『なんか懐かれちゃって』と言っているが、やはり若い女子同士は、興味ある話題や、嬉しい事、楽しい事も感覚的に近く、理屈抜きにすぐに話も合うし仲良くなれると言うのは自然だろう。


 そもそも、若い女性の姿の妖怪は少ない上、今作には5期の様な妖怪横丁も(ここまで見た限り)無い。何だかんだ言って、若い女性同士のネットフレンドが出来た事は猫娘も嬉しいのだろう。迷惑ならば無視するか、アクセスを遮断しているだろうから

 第1話の様に、妖怪ポストから手紙が来る事もあるのだろうが、今後もまなの身近で起こった怪事件に関しては、まなからの報告で調査に出る事になるのだろう。この辺は5期の猫娘がバイト先で事件を見つけて…。と言う事に相当する、時代を反映した事件のたれ込み方と言う事で、また新鮮さを感じる。

 ネット上では、猫娘はどうやってスマホを契約し、代金を払ってるのか?と言う突っ込みがされていたが、そこはこれから明かされるのだろうか?5期の様にバイトしている可能性が有力だがw


○ひとまず、まなを突き放す鬼太郎

 さて、まなに話を聞きに行くと彼女は『鬼太郎の役に立ちたい』と、10数件の行方不明情報を調べてくれていた。そんな彼女に鬼太郎は『妖怪と人間は友達にはなれない。気持ちだけは有り難く受け取っておくけど、これ以上クビ突っ込まない方が良い。』と、突き放した言い方をして別れる。

 後に、鬼太郎なりの考えがあっての発言と判明するのだが、3〜4期では人間のレギュラーとは、ほぼ無条件に仲良くしていた事と比べると、これまた新しい鬼太郎像と思えた

 これは、これまでの人間の友人達は皆10才程度の子供達なのに対して、まなは中学生と言う事もあるだろう。人間同士でも、無邪気な幼児のうちは、言葉も性別も関係なくじゃれ合って遊んでいるウチに仲良くなれる…と言う事はあるが。知性も好き嫌いも発達するティーンエイジャーとなると、打ち解け合うにはそれなりの過程が必要なものだ。
 その過程の一段階として、まず先に同性の猫娘と仲良くなり、次は鬼太郎とも…。と3部作で描く事になったのだろう。


 今作は猫娘は高校生程度、鬼太郎も10才以上の少年に描かれており、この辺も年齢層を少し上げたと言う影響が見える。これより下の年代の、コミカルな妖怪達のドタバタコメディなら、妖怪ウォッチが人気を博しており、棲み分けを図る意味もありそうだ。


○まなが捕まり、鬼太郎ファミリー集結、トラウマな『人柱』

 まなを仲間に加えずに事件調査し、たんたん坊に行き着く鬼太郎だが、結局まなも学校の社会見学中に、他の人には見えない人柱を見つけてしまう。また、突き放された事もあって、『よく確かめてからにしないと』と報告を躊躇してしまう。そしてその『よく確かめる』をしようとして、たんたん坊一味に捕まってしまう。

 この辺は、 彼女自身が後に自ら謝る様に一人でクビを突っ込みすぎた事があだになったワケだが、互いを思い、またさらわれた子達を思ってのすれ違いで、まなが凄く行動力も思いやりもある良い娘として描かれていたのが良かった。

 この手のお節介なキャラは、描き方によってはウザキャラになってしまいがちだが、彼女が自分のエゴだけで行動しているワケでは無い為、彼女に反感を覚えた人はほとんどいないと思う。黙って立ち止まっていては解決にならない、行動する事のリスクや尊さは鬼太郎の戦いと変わらない。だから、鬼太郎ファミリー一同も迷わず助けに行く事を決めたのだろう


 余談になるが、この子供達が、意志のあるまま人柱にされる。しかも柱の中で動けないまま死にもせず閉じ込められると言うのは、結構小さい子にはトラウマものの怖さがあったのでは無いだろうか?

 意志があるまま動け無くされると言う責め苦は昔から、西遊記の孫悟空が山に封じられるとか、デビルマンの喰った人が死なずに甲羅の顔だけになるジンメンとか、鏡の中に閉じ込められるとか色々あるが、フィクションだと割り切って見ないと、本当に自分の身にこんな事があったらと身震いする怖さがある。 歴代の妖怪城では、単に石にされる。逆さづりにされる、牢屋に閉じ込められるなどで、それに比べても怖いが、まなの大ピンチを表現するのにはふさわしいと考えられたのだろう。

  捕まる時の、歩きスマホをしていて異変に気付かない事と合わせて、子供達は事故の元にもなる歩きスマホは止めようか…と思わせたかも知れない。また、たんたん坊復活の原因になった、むやみに山を崩し、新しい建物を建てる事が本当に良い事か…とも思わせたかも知れない。
 恐怖を感じると言うのは、自分達を見つめ直し、考え直す切っ掛けなのだなとも思わされる表現だった。それは、東日本大震災の原発事故の後の意識の変化とかにも通じる話にも思う。鬼太郎は、社会風刺も何かと入れ込む作品でもある事を感じさせられる場面だった。


○猫娘の戦闘力

 そして、まな&人柱の子たちの救出の為、鬼太郎ファミリー総力戦での戦闘となる。それぞれ見せ場があって迫力のある戦闘だったが、注目に値したのはやはり猫娘。『引っ掻く』ではなく『真っ二つ/ズタズタに切り裂く』と言うのは、近接戦闘の攻撃力ではメンバー中最強クラスになったかも知れない

 これまでの歴代猫娘はねずみ男以外には弱かった。萌えな単独ヒロインの5期もそうで、すぐにやられるか、親父を預かって見守る事が大半の足手まとい系だった。本人もそれは意識していて天狗ポリスの道場で鍛える話もあった位だ。

 個人的には、彼女がイマイチ活躍できないのは、相手にとどめを刺せる様な攻撃技が無い為と思っていた。実際、1〜5期では雑魚を除いてとどめを刺した事は皆無だったと思う。攻撃力を強化できると良いが…と願っていたのだが、ついに二口女に初のとどめとなった。歴代のファンから見ても感慨深い初勝利だったのではないかと思う。今後の活躍も楽しみにしたい。

 また、2話で猫娘の戦闘をプリキュアっぽいと書いたが、その時は気付かなかったのだが、今期は『企画』の役職にプリキュアの生みの親、鷲尾天氏が入っていたんだな。『女の子だって暴れたい』を成功させた人だけに、猫娘を足手まとい系ヒロインにさせる様な事はまずしないだろう。
 むしろ、プリキュアよりもハードorグロな表現も可能な為、今後の戦闘シーン作りをより楽しみにしているのかも知れない。是非期待したい所だ


○無事救出&本当に友達となる

 さて『妖怪城があれば俺らは無敵、地上を汚し続ける人間共を滅ぼしてやる』とうそぶくたんたん坊。
 それに対し『闇を恐れない今の傲慢な人間達には怒りを覚えるが、同じやり口をしているおまえ達は人間と同じかそれ以下だ。どちらか一つで良いなんて事は絶対に無い。自分と異なるモノを認められない奴は大嫌いだ』…と返した鬼太郎には、ここで彼の『多様性を認めない、心の狭い悪者をゆるさない』と言う信念がハッキリ見て取れた。この辺の人格形成も、人間の水木氏に世話になった事が影響しているのだろうか。

 そして最後は、これもまたまなのスマホが決め手で、妖怪城の中枢&弱点の人柱を見つけ、3妖怪を始末して無事救出となる。
 救出されてすぐ、まながした事が、『自分がクビ突っ込みすぎた事が原因で迷惑をかけた』と謝る事だったのは、彼女が素直に謝れる良い娘…と好印象だった

 その後鬼太郎も『また助けられるか解らない。だから巻き込みたくなかった。』と語り、『そう思ってるって、結局まなが大事だからじゃない』(猫娘)『鬼太郎も本当は、もう友達と思ってるんじゃ無いのか?』(砂かけ)『お互い、相手を尊重して理解しようとする事じゃよ』(親父)と言われ、『私、妖怪の事も鬼太郎の事ももっと知りたい。こんな私だけど友達になって下さい。』(まな)『仕方ない、目を離してるとドンドン危険な所に行きそうだからね、まな。』(鬼太郎)と言う握手につながる。

 この辺、芝居がかっていても、いやそうだからこそ微笑ましくなるやりとりだと思わされた。3期のユメコと鬼太郎よりも、紆余曲折があった分だけ、ようやく解り合う所にたどり着いたなとホッとさせられた。この時、微笑んで見守る親父や砂かけと、ちょっと嫉妬が入ってツンとする猫娘の対比もまた良い


 そう言えば今回はねずみ男は出なかったが、彼はこの『まなと鬼太郎達の出会いの3部作』の中では、1人の駒と言う感じの扱いだったと言う事か。いつもの様な怪事件発生と鬼太郎の解決というのは、来週以降からと言う事だろう。
 とは言え、来週はゲゲゲの森に裕太が迷い込む、これまたアニメオリジナルの話の様だ、期待して待ちたい。
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◎6期ゲゲゲの鬼太郎 第2話『戦慄!見上げ入道』感想

2018/04/09 00:46
○鬼太郎ファミリー勢揃い

『まなと鬼太郎達の出会い、後編』とも言える第2話の感想である。
前回で何物かに鬼太郎が矢で撃たれ、さてどうなるかとも思ったが、それとは全く無関係のコンサートからの失踪シーンから始まり、次に手当を受けた鬼太郎が目覚める所から始まった。この辺、第1話を見逃した人も安心して物語に入れる様にする配慮だろうか。

 それぞれ声が新キャストになり、性格にも変更点はあれど、子泣き爺、砂かけ婆、一反木綿、塗り壁のお馴染みのメンバーが勢揃いで、やっぱりこれでこそゲゲゲの鬼太郎だなと古参ファンも安心しただろう。矢を撃った犯人はまだ不明だが、逆五芒星が悪魔関係のマークと言う事を親父が解説してくれて、この辺は今後の伏線になっていくものと思う。


 負傷した鬼太郎はまなが背負って神社まで運んでくれていたが、そこで森の中に彼らが消えてしまって驚いていたと言うのは、これまた新しい。3期ではユメコが自由に森に出入りしていたのだが、第1話の冒頭ではまなには妖怪が見えなかった様に、妖怪の住み家は異世界であり、人間は簡単に妖怪と接触できないと言うのが今期の設定なのだろう。そう言う設定自体は、世界中の妖怪・妖精譚で珍しくはなく、そこを明確にした形か。

 次回予告ではまなと猫娘がSNSで連絡している様子が出ているが、これはアカウントを消してしまえば連絡を絶てると言う事でもある。いつかそんな日が来るのか、番組終了までそんな日は来ないのか、いつかまなも森に出入りできる時が来るのか…という展開や結末も気になる所だ。


○猫娘とまな 第1ラウンド

 鬼太郎を出迎えに来た面子に入ってなかったのが猫娘だが『鬼太郎、死んだって?』とゲゲゲハウスに現れ、『生きとるわい!』と言われて『つまんない』とバツが悪そうに出ていくあたり、いわゆるツンデレが、今期の猫娘と言う事か。

 その後わざわざ、まなの家まで訪問しているが、腕を組んで仁王立ちでまなを見下ろしている姿は、どう見ても『あんたを助けた人間の娘ってどんなのか見に来ただけ』じゃないわな(笑)。鬼太郎が来なかったら、礼を言いつつも『これ以上関わるな』と牽制するつもりだったんだろうかw

 このあと、鬼太郎がぶっきらぼうな御礼しかしなく、目玉親父に『それが命を助けてもらった人に対する御礼か?』と叱られてようやく頭を下げる姿もナカナカ新しかった。
 原作はともかく、アニメの歴代の鬼太郎はいかにも正義の味方らしく、言われなくてもしっかり丁寧語を使える子だったが、今回の鬼太郎は人間を極力避けている為か、悪い意味で子供らしく礼儀がなっていない様だ。この辺は今後、まなとの交流や番組が進むにつれて変わるのかも知れないが。

 また、こうしてしっかり叱る事が出来るのは、さすが親父さんと言う所。親はこうして子供の教育が出来ないとイケナイものだし、子供の恩人は親の恩人と自ら御礼を言える所も素晴らしい。ニチアサの番組は教育的な一面も担っているし、笑えるが悪くないやりとりだった。
 田の中氏が亡くなって、目玉親父を誰が担うにしても心配だったが、田の中氏と同じではなく、野沢版・目玉親父の世界を即座に作れる所はさすがにベテラン、心配は無さそうだと安心した。


○猫娘とまな 第2ラウンド

 その後、ねずみ男をとっちめ、ドームでの失踪現場に駆けつける鬼太郎と猫娘の所にまなも非常用の出入口の情報を持って現れるが、まあこの辺はご都合主義というか、親父さんの言う『偶然力』、いわゆるヒロイン力と言う所かw

 この時の猫娘の『だからなに?』『セキュリティの甘い父親ね』と一々トゲのある言い方は、いかにもまなに対する警戒心バリバリで、そこから『友達が行方不明なんだってば!』『私達に任せておけば良いの!』『こないだ鬼太郎を助けてあげたのは私だから!』という修羅場に発展し、睨み合いになるのはWヒロインのお約束と言う所

 そして、見上げ入道との対決シーンになるワケだが、霊界送りで飛ばされた鬼太郎に代わり、まなを守って猫娘が見上げ入道と戦うシーンが、今回の一番の見所か。
 巨大化した見上げ入道の体を駆け上り、ツメの一撃と、鼻先にハイヒールでのキックをたたき込む場面は、あれはプリキュアでよく見かけるコンボっぽいなと思った。この辺、プリキュア15周年で女子の肉弾戦をカッコ良く描くノウハウが蓄積されてきたのも大きそうに思う。5期の頃はプリキュアはまだ初代の鷲尾Pの時期で、その周囲にしかノウハウは無かっただろうから。

 5期までの猫娘は、あの手の巨大妖怪が相手ではやられるか、逃げ回るか、見守るかしかどうしようも無かった。巨大妖怪が相手でも臆さず向かっていける強い女性戦士と言うのは、プリキュアを見慣れた現在の子供達には、格好いい鬼太郎の頼れる相棒と言う立ち位置で、まなとは別の魅力的なヒロインに見えると思う


○猫娘とまな 第3ラウンド

 その後無事に戻ってきた鬼太郎と『よく頑張った』『遅いよ』とのやりとりは、2人の信頼関係が感じられるやりとりだった
 また、のどをちゃんちゃんこで塞ぐのは原作通り、そしてまなの『見上げ入道、見越したり』で封じるのは伝承通りで、この辺の活躍も役割分担されて、空気にならないキャラ作りが出来ていたのは感心した。

 事件解決後にまなが『猫姉さん、超カッコ良かった〜』と懐き、猫娘もまなの頑張りには思う所があったのか、満更でも無い様子で顔赤くして照れていたのは微笑ましかった

  正直、2話が始まる前は、鬼太郎ファミリー総動員の戦闘になるものと思っていたのだが、彼らは手当てをしただけで、結局戦闘に参加したのは猫娘のみだった。だが、すでに鬼太郎ファミリー達は説明するまでも無い有名妖怪だし、次週以降は猫娘とまなはSNSで連絡取り合う仲になっているから、今回はWヒロインが仲良くなる過程を描きたかったと言う所なのだろう。彼らの活躍回はまた別の機会を楽しみにしたい
(て言うか、どおりで先行カットは猫娘のイラストばかりだったワケだ。他は冒頭でしか出番が無いんだからw)
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6期ゲゲゲの鬼太郎 第1話『妖怪が目覚めた日』感想

2018/04/01 21:55
○鬼太郎&水木作品と自分

更新も何年ぶりかになってしまったが、久々に更新したい。
6期ゲゲゲの鬼太郎が始まった。自分はいわゆる3期鬼太郎世代なのだが、新期が始まる度に鬼太郎という作品が好きになっていき、5期は全話録画して欠かさず見た口だ。それを切っ掛けに水木作品全体も好きになり、水木しげる大全集も購入している。

それだけに、5期が打ち切り同然に終了した事は非常に残念だった。再開を願っていたが、出演者には鬼籍に入られた方もおり、シナリオ、作画監督などのスタッフもみな別の場所で活躍されており、もう難しい事も理解はしていた。

なので、今年に入りアニメ50周年で、水木先生が亡くなられて初めての新作が作られる事となり、新しい鬼太郎を見る事が出来る事は本当に嬉しいと思っている。できるだけ長く続き、最後は気持ち良く終わらせてほしいものである


○新ヒロイン・犬山まな

前置きが長くなったが、第1話の感想を述べたい、一言で言うならば『まなと鬼太郎達の出会い、前編』と言う話で、次回はどうなるかと言う引きも新鮮で、楽しませてもらった

新ヒロインの犬山まなは、今までの鬼太郎には居なかったタイプで、現代的で新鮮だった。ユメコを悪く言うワケでは無いが、現代において、あの手のお姫様的なヒロインは魅力的には映らないだろう。5期の猫娘もそうだったが、まなの『解らないけど知りたい』と言う好奇心、同級生をはたく位に勝ち気で活動的な所、元気印で表情豊かな所はまさしく現代的で魅力的なヒロインだと思う
この手のタイプは、水木先生が現役の時代はほとんど居なかったタイプの女子なので、鬼太郎では今まで見かけなくても仕方が無い。そう言うキャラを新規に加入出来る事も鬼太郎と言う作品の懐の深さだろう。

言葉遣いも『あんにゃろ〜どこ行った!』『まなだよ!犬山まな!』とユニセックス語な事も現代的。今の10代の娘は女言葉を日常語としては使わない。この辺は同じ東映の「プリキュア」の主人公らに倣っていると思うが、今時のJCとして可愛く違和感なく描かれていると思う。

また、鬼太郎を『鬼太郎!』と呼び捨てにするのも新鮮だった。悪役では無い人間キャラとしては、呼び捨ては初めてではないかと思う。
考えてみれば、小学生から見ると鬼太郎は『背格好は近くても妖怪』だし、大人から見れば『子供に見えるけど実年齢は自分達以上の妖怪』なワケだが、大人でも無く子供でも無い中学生となると、『見た目自分より子供に見えるし敬語を使う相手に見えない』と言うのも不自然では無い。
鬼太郎とねこ娘のコンビも、3期で『鬼太郎』と呼び捨てる近しさになって定着した所があり、これから彼女が妖怪世界と近しくなっていく象徴かなとも思う。

あとは…、抱きついて胸を押しつけられる位の発育の良さも新鮮かw でも今時のJCとしてはこれも珍しくはない。次回の私服も今回とは別で、おしゃれな事もうかがえる。
今作ではねこ娘が八頭身美人な事がすでに話題となっているが、美人のWヒロインと言う事で、次週以降のねこ娘との絡みも楽しみにしたい所だ
(早くも、下手な深夜アニメのヒロイン以上の逸材だと、同人界隈でも話題になっているがw)


○今までの第1話と比べて

シナリオ的にも、傲慢な人間が妖怪の封印を解いてしまい…と言うのはこれまでのテンプレ通りとも言える。が、3,4期ではヒロインが捕らわれて、兄弟友人が手紙を出す所だが、今回はまな自身と言うのが新しい。
これも『活動的で好奇心旺盛なヒロイン』と言う今までとの違いを象徴している。奇しくも東映は今年はプリキュア15周年も祝っており、この手のヒロインを可愛く描くノウハウが、東映の中に蓄積されてきた事も大きいのだろう。

彼女が首突っ込んできた事で鬼太郎が吸血木にされピンチに陥るが、『偶然力』とやらで勝利に貢献している辺りがヒロインの面目躍如かw
目玉親父は彼女のスマホから情報を得られてすぐ打ち解けたのだが、うざく思っていた鬼太郎も、少しは認めざるを得なくなっていくのだろうか。

最後に鬼太郎が何者かの不意打ちでまた負傷してしまうが、次回はその鬼太郎をゲゲゲハウスへ送り、鬼太郎ファミリー達とまなとの出会いが描かれると予想する。出会いの後編に期待したい
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何で、頼まれもしない名作アニメの実写化ばかり流行っているのか

2014/03/06 19:10
○何で、頼まれもしない名作アニメの実写化ばかり流行っているのか

 3/1より、実写版『魔女の宅急便』が封切られた。私は見ていない為、内容そのものの評価はここでは控えたい。色々なブログ、掲示板などで書かれるだろうから、そちらを参照願いたい。

 それ以前に、この作品が作られる事が発表された事自体が、非難囂々だった。
 ここ数年、ドラゴンボール、ガッチャマン、宇宙戦艦ヤマトetc、かつてのアニメの名作が実写映画化されては、不出来を非難される事の繰り返しだったからだ。そんなものファンは頼んでね〜よ!と言うのが多くの反応だったと思う


○TV、映画=広告代理店=芸能界


 非難されてもされても繰り返されているのは、結局、映像コンテンツ業界の構造的な問題なんだよね。章題の様に、「TV、映画=広告代理店=芸能界」、つまり、有名人とそれを抱えるプロダクションが偉く、その名前でスポンサー料が集まる構造だからだ。

 それで、作品作りという仕事が芸能プロと製作会社に与えられ、製作費用やギャラになれば、目的の9割は成功と言う事だ。その後の評判など、良ければラッキー程度なのである

 しかしこれ、アニメファンからすれば、非難囂々のやり方なのは言うまでも無いだろう。制作にGoサインが出るのは、アニメの知名度を当てにしてなのは言うまでも無い。作品の出来の善し悪しを、アニメ版と比較するなと言うのは虫が良すぎる話だ。

 また、アニメの製作費用は安く抑えられ、アニメーターも声優も、安月給の中で苦労して制作している事は、アニメファンには周知の事実。彼らの苦労が芸能プロに仕事を与えて、大口スポンサーを獲得する為の踏み台にされるのでは、そこに正義も何も無いじゃないか。

 アニメファンの多くは、やはり、正義の味方が最後に勝つ事に喜び、憧れて幼少の頃からアニメを見ていたはず。それがこの様な 芸能プロ>アニメと言う理不尽な構図、『ずるく優位な状況をつかんだ者の勝ち』なんて構図を誰が見たいだろう?
 この辺の嫌悪感が、非難/失望の声の背景として、非常に大きいのではと思うし、それを跳ね返せるほどに良い出来に作れないならやるな!なのだろうと思う

○結局は芸能界そのものの失望、不信が進むだけ、構造改革するべき

 前出の通り、制作した側は、仕事が芸能プロと製作会社に与えられれば9割方成功と、高をくくっているのかも知れないが、こんな事を繰り返していると、結局は日本の芸能界そのものの失望、不信が進むだけだろう。
 そんな事をするなら、芸能人の再就職、セカンドキャリア支援の充実でもさせた方が、よっぽど社会的にも有意義だろうと思う。

 この辺を改善していくには、映像コンテンツ業界の構造改革が必要なんだろう。具体的には、広告代理店業界を、@芸能部門、Aスポーツ部門、Bアニメ・特撮部門…と、部門分けするべき、出来れば別会社にすべきだと思う。

 この3つは、ファンが何にブランド価値を求めているかの気質も全く違うのだから、安易に同じ様な商売をすること自体が問題だろうと思う。それこそ、政府のクールジャパン推進会議とやらは、中途半端な売り込みなどをするより、こういう問題の仲裁に乗り出すべき。売り込みの仕方なんかは、民間の方がよほど知っているだろうよ

○ジブリにも問題有り

 これとは別に、スタジオジブリにも問題有りだろう。ジブリ映画の配給力は素晴らしいが、一度ジブリ映画としてヒットしてしまうと、その後の続編や関連商品、メディアミックス展開なども、ほとんど出来ないのが痛い。
 ジブリ自身はそのような展開に消極的だし、かといってキャラデザインなどはジブリが手放さないから、同じイメージで他者に任せる事も出来ない

 原作者、出版社、スポンサー、製作会社などで製作委員会を作って、様々な展開をするのが普通のご時世、ジブリのやり方では原作者の利益が尊重されないだろう。角野栄子先生も、ジブリ自身がビジネス展開をしてくれていたなら、実写化にOkは出さなかったのではないか。原作付きのアニメが現代的なビジネスを展開できる様に、ジブリ側も構造改革していくべきだと思う。

 今のままでは、宮崎駿監督が完全に退いたら、原作を提供する作者も少なくなりそうだ。ジブリの今後の為にもならないと思う。

 …とまあ、今回は怒りのコメントばかりになってしまった。実写化の中に、きらりと光るモノがもっと多ければ違ったんだろうけどね。ゲゲゲの鬼太郎とか、ヤッターマンなどは良作だったんだが、映画業界のみなさん、もっと頑張って下さいよと言いたいね

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永井一郎氏、改めて御冥福をお祈りします

2014/02/24 20:04
○永井一郎氏、改めて御冥福をお祈りします。

 永井一郎氏が1/27に他界されて、一月が過ぎようとしている。
 何と言っても、サザエさんと言う国民的作品での偉大なる長期レギュラーだったため、波平さんの後任が誰になるのか?と言う事を含めて大騒ぎだった。

 幸い、後任の茶風林氏も目暮警部など、存在感のあるおじさん声には定評のある人で、しっかりと彼なりの波平を演じてくれている。奇をてらう事も無く、良い人選をしたと思う。フジテレビにしては久々のヒットかな。
 プレッシャーはあるだろうが、頑張って欲しい


○何故か藤子アニメには縁が薄かった


 …と、偉そうに書いてみたのだが、実は私は、少年時代(80年代)には永井一郎氏の演じたキャラには、余り縁がなく、まるで印象になかった
 なんとなれば、当時は藤子アニメの全盛期であり、永井一郎氏は80年代の藤子アニメのレギュラーには縁が無かったからだ。学習誌を毎月購入し、その作品の熱いファンになってた私には、縁が無いままだったのだ。

 まあ、よく考えればこれはやむを得ないだろう、藤子アニメの主人公と周囲は、ほとんどが小学生とその親だ、永井一郎氏の得意とする、年配の男性のレギュラーは少なく、印象が無いのも仕方なかったのだ。

○80年代後半から一気に存在感が

 波平を除くと、私が永井一郎氏の存在を意識した役は、ゲゲゲの鬼太郎(3期)の『児泣きじじい』だった。そこから、カリン様(DB)、猪熊滋悟郎(YAWARA!)、八宝斎(らんま1/2)と、有名で、しかも波平とは全く真逆のコミカルイメージの役がいくつも来て、声優さんの演技の幅の広さに驚くやら、笑えるやらした記憶が凄く強い。声優って凄いものだなあと認識させてくれた一人と言って良かった。同様の人は多いのでは無いだろうか?

 そして、00年代以降は、ダンブルドア校長(ハリー・ポッター)で、これまた渋い重鎮を演じてくれた。この役はいわゆる波平イメージの役で、ハマリ具合は絶妙だったと思う。


○後任は大変だが、やり甲斐を感じて欲しい

 ところで、不謹慎を承知で笑ってしまったのが、大物声優が死去すると、必ず『誰も後任をやりたがらない』なんて声がネット上であがる事かな。
 実際に後任が決まるまで、他の声を想像付かない程の当たり役だったと言う事だろうが、『誰もやりたがらない』と言うのはあり得ないよ

 故・田の中勇氏は、『自分の今の仕事のほとんどは目玉おやじ関連で、目玉おやじに食わせてもらってる様なもの。この役をしてなかったらとっくに引退してたよ。』…と苦笑していた
 この位に有名で息の長い役ともなると、そこに関連するビジネスも膨大で、食いっぱぐれも無い。プレッシャーはあるけど、上手く自分の役に出来れば、安定収入は保証された様なものだ。

 目玉おやじも、3期以降は毎回、大勢の声優がオーディションしていたが、結局、田の中氏に毎回落ち着いたそうだ。怖さはあっても、プロの声優が誰も引き受けないなどと言う事はあり得ず、心配無用と断言できる。
 茶風林氏も、大変だろうが、やり甲斐を感じて頑張って欲しい

○俳優→声優の道すじも強化していくべき

 ただ、年配の役を演じられる声優が昔から変わっておらず、人材不足と言う心配はある。

 60年代頃のアニメ黎明期の声優は、俳優を目指したが、それよりも結果的に声優の仕事の方が主軸になったと言う、いわゆる俳優崩れの人が多かった。
 時代的にも、今ほどアンチエイジングが進んでおらず、中年になると一気に老ける人がほとんどだったので、俳優崩れの声優は、年相応に年配の役が当たり役になれていたと思う

 現在の場合、声優養成所に通い、若々しい主役の少年/青年役が当たり役の男性声優ばかりが増えてしまっている。しかもアンチエイジングが進んでて、彼らが年配役に移行していかずに、人材不足が起きているワケだ。

 この辺、昔ながらの、俳優→声優への道すじも、決して閉ざしてはいけないと言う事じゃ無いかという気がする。
 永井一郎氏自身、声優のギャラの少なさに関する著作を出していたけど、レッスン環境や仕事の確保、報酬などを整備して、渋い年配役を演じられる声優の育成にも着手が必要だろう。
 この辺、永井氏がアニメ・声優業界に残していった宿題だろうなと思う


 ともあれ、永井一郎さん、お疲れ様でした。あなたの演じたキャラと声は一生忘れません。御冥福をお祈りいたします






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あさりちゃん、完結

2014/02/21 23:47
○放置しすぎた………(^_^;)

忙しさにかまけていたら、ブログのほったらかし状態が2年近くになってしまった。

まあ、もっともっと長く放置されているブログはいくらでもあるのだが。なにせネットの移り変わりは激しく、フェイスブックにツイッター、さらにはLINEなど、色々と新サービスが出て来ては消える日々だ。忘れて放置しっぱなしにせずに、本当に良かった…

○あさりちゃん、完結

 さて、今回のテーマはあさりちゃんである。私の様なアラフォー世代にとっては、ドラえもんと共に、一緒に育ってきた作品と言って良い。ドラえもんを見る為に学習誌を買い、あさりちゃんも見た人は多かろう。アニメ化もされたし、熱心に追ってはいなくとも、思い出深い作品だと思う。

○可愛くなったあさりちゃん

 この、1970〜80年代のあさりちゃんを見ていた世代には、今のあさりちゃんの画風には少し違和感があるだろう。ハッキリ言えば『可愛くなっている』のだ、自分の事を「あさちゃん」と呼んだりして、言葉遣いも変わっている。

 この辺は、開始当時と現代とでの「元気な女の子」のイメージの変化を示していて興味深い。当時は髪型はぱつんぱつんで、服もオシャレさのかけらも無かった。ハッキリ言えば、当時は元気な女の子は、「お転婆」「がさつ」な女の子らしくない悪ガキだったワケだ

○今アニメ化したらどうだったろうか?

 この作品は、82年にアニメ化された。ドラえもんにより学習紙の人気が絶頂だった時代だから…と言えばそれまでだが、80年代のまだ悪ガキイメージの頃にアニメ化されて、それきりだった事は、今となっては惜しいなと思う。

 90年代〜現代にアニメ化していれば、可愛く元気な女の子が主人公のコメディ作品として人気を取り、藤子・F・不二夫氏亡き後の、学習誌の人気急落のカバーも出来たのでは無いか…という気がしてならない。

 少子化のせいもあり、現在のマンガ雑誌は、玩具やアニメとの強いタイアップが無くては見向きもされない。その中で、こんなロングセラーの作品なんて、早々現れる物では無い。F氏亡き後には、この作品をプッシュすべきだったのでは無いか、小学館の学習誌部門は、つくづく勿体ない事をしたなと思う

 
 ま、今となってはもう遅いか、奇跡的に何か企画が動き出せれば良いのだが…。ともかく100巻で完結、お疲れ様でした。室山まゆみ先生、今後の活躍も期待しています





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休刊になった小学3/4年生

2012/04/04 04:50
○休刊になった小学3/4年生

 さて、第1回のテーマは、表題の通り、小学3/4年生の休刊の話である。すでに5/6年生が休刊になっているので、これ自体には別に驚きもしなかったが、ドラえもんのアニメと原作を見て育ってきた世代としては、何とも裏寂しく思わされてしまった。

 …で、学年誌の現在と今後を確かめようと、小学3/4年生の最終号(3月号)と、小学1/2年生4月号を買ってみたのだが、正直な話、『これでは学年誌全体が休刊になるのも時間の問題ではないか…?』と思わざるを得なかった

○『学習雑誌』という名の児童マンガ誌だった学年誌  

 自分が見ていた80年代頃の学年誌は、ドラえもん、ハットリ君、怪物くん、パーマンなどの藤子作品や、手塚治虫氏、赤塚不二夫氏も現役で、ほぼ8〜9割のページがマンガで占められていた。学習に役立つ読み物や、学習マンガなどは1〜2割程度。学習雑誌という看板を掛けていても、その実はマンガ雑誌だったのだ。

 また、ドラえもんを筆頭に、放送中のアニメの原作やコミック化なども多かった。そしてそれが、ライバル誌だった学習/科学(学研)に対して勝ち組になり、成功していた理由でもあった。マンガ雑誌を親におねだりして買ってもらう事は難しいが、『学習雑誌』と言う事ならば財布をゆるめてくれる確率は高い。親におねだり出来て、好きなアニメ作品のマンガを楽しめる事が、子供達にとって大きかったと思う。

○玩具タイアップ作品、学習読み物と教材付録中心では…?

 現在の学年誌は、玩具タイアップ作品と学習読み物が8〜9割を占め、電子楽器や電卓の様な学習教材も付いて、700円以上の値段になってしまっている。80年代の名残をかろうじて残すのは、「あさりちゃん」位だろうか?

 この構成は親の目を意識しての事だろうが、すでに休刊になった学習と科学(学研)の二の轍だろうと思う。玩具タイアップならコロコロコミックの方が充実してるし、学習ならドラゼミや進研ゼミなどの通信教育の方が費用対効果が高かろう。学習教材も100均でも買えそうな電子機器/玩具など、すぐに飽きるし無駄に高額になるだけだ。

 これではせっかく親御さんが、昔の名前で安心して買い与えても『つまんないからもう買わなくて良いよ』…と、子供に言われるのがオチだろう。『学習雑誌』という名の児童マンガ誌だった時代と比べて、子供が積極的におねだりしたがる商品になっていないと思う。

○今のままならコロコロコミックに吸収か…?

 小学館は、3/4年生の後継誌として「小学館の学習ムック」を刊行し始めたが、5/6年生の後継誌として出した「ガクマンプラス」も、結局は休刊になったから、どこまで続くものやら…。

 このままなら近い将来、学年誌を全休刊として、コロコロコミックに集中した方が、人的資源の有効活用ができて良いと言うしかない。元々、コロコロは「ドラえもんをもっと見たい」という事で創刊されたのだが、ひさしを貸して母屋を取られた形になるのか(T_T)。
 学年誌には学年誌の意義があったので、何とか復権して欲しい物だが、折角の藤子・F・不二夫ミュージアム会館の半年後に、こういう事になるというのも、時代の流れを感じさせられた。寂しい物だなあと思う

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開設のご挨拶

2012/04/04 04:32
 一足(もっとか?(笑))遅いという人もいると思うが、自分も色々と雑感を書く場が欲しくなり、ブログを書き始める事になった。

 昔(と言ってもほんの5〜10年前だが)は、気安さ重視で掲示板に色々と意見を書いていたものだが、現在は掲示板と言えば、無記名の2チャンネルにほとんどジャンルが集約・網羅されてしまっている。
 その上、流行っているスレッドは、詳しい説明も出来ないほど進みが速く、過疎化が進んだ所はあっと言う間に見られなくなる事が多くなり、さらには最近はアクセス規制も多くなってと言う具合で、掲示板にしっかりと自分の意見を書く事がやりにくいご時世になってしまった。少々残念に思っている
(私の知らない掲示板に、良い物があるのかも知れないが。)

 かといってツイッターの140文字という規制では、ちょっとした感想、連絡などはやれても、詳しい説明まではやりにくい。ブログがやはり無難かなと思い、遅らばせながら、ブログを開設したくなった。

 とは言っても、自分の話題と言えば、マンガ、アニメ、スポーツ、パソコンなど、いかにもオタクで個人的な意見、感想ばかりで、駄文で申し訳ないのだが…。「面白い」と思ってくれる人が、世界に一人でもいれば幸いに思っている。ともかくそんなワケで、どうぞよろしくお願いします
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